1.〈貨幣が資本に変態するのに通過するところの流通形態は、商品、価値、貨幣、および流通自体の性質についてこれまでに詳述したすべての法則に矛盾※する。〉
単純な商品流通では商品や価値や貨幣はその流通の過程で価値量を変化させないというのがその法則だった。ところが資本の一般的定式では流通過程でGがG'へと、つまりGがΔGを生むという価値量の変化を、流通過程そのものが価値の増殖を生むということを前提している。
この流通形態、つまり資本としての貨幣の流通G-W-G'が単純な商品流通と異なるのは、同じ二つの反対の過程である売りと買いとの順序が逆になっていることである。
なぜ、このような形態的な相違が、流通過程の性質を変化させるのか? つまり、形態的相違により剰余価値は生まれるのだろうか?
※ 「定式の矛盾」とは何か。何と何が矛盾するのか。「すべての法則」とは等価交換を前提とした価値法則であり、それに対し、流通過程における価値増殖を意味している。言いかえると自己増殖する資本と労働価値説との矛盾とも言える。等価交換が行われているにもかかわらず、なぜ価値増殖がおこるのかということである。
※ 「スミスは、資本家と労働者との間の交換は不等価交換であり、労働者の作り出した価値の不払い部分が利潤であるという事実を知っていました。しかし、この事実はスミスが確立した等価交換を前提にした労働価値説と矛盾します。そこでスミスは労働価値説が通用するのは、資本の蓄積以前(資本主義以前)だけだと限界をつけたのです。労働価値説はむかしは妥当したが、資本蓄積後のいまは通用しない、というわけです。一方、リカードは、労働による価値規定を守るため、交換を普通の商品に限り、資本家と労働者との交換を労働価値説の例外にしました。スミスは資本の事実を立てるために理論を犠牲にし、他方、リカードは理論を立てるために事実を犠牲にしました。」;平野喜一郎 「『資本論』を学ぶ人のために」 2011年 新日本出版社
2.前のパラグラフの問を受けて「形態的相違」(売りと買いの逆転)について検討する。
このような逆転が生じるのは、互いに取引する三人のうちのただ一人(私)だけである。
私が単なる商品所持者として交換するのであれば、私は商品をBに売って次に商品をAから買う。しかしAとBにとってはこのような相違は存在しない。彼らはただ商品の買い手かまたは売り手として姿を現わすだけである。また私自身も、彼らにたいしてはそのつどただの買い手(貨幣)または売り手(商品)として、相対するだけである。ここではA、Bどちらにも資本家(資本)として相対するのではない。
私からみればAからの買いとBへの売りは一つの順序をなしており、この行為の関連は私だけに存在する。Aは私とBとの取引には関わりがなく、Bは私とAとの取引には関わりがない。では、この順序の逆転によって、剰余価値を生み出すことがあるだろうか。
単純な商品流通では取引は売りではじまり買いで終わる。実際、私の第一の行為である買いは、Aからみれば売りであり、第二の行為である売りは、Bからみれば買いである。だから売りと買いを逆転したからといって、そこに何か特別なことはない。
ところが資本家(資本)としての私は商品をAから買ってそれをまたBに売る。この相違は買いと売りの順序がただ逆転しているだけなのに、資本家はそこから剰余価値を得ている。
もっとも三人の取引仲間のなかで私だけが販売と購買を逆転させる(流通を反転する)といっても何か特別なことをするわけではない。私が単純な商品流通の当事者であれば、商品をBに売って、その貨幣でAから商品を買う、それと同じことをやるだけで、ただその順序が違うというだけである。つまり資本家としての私は、まずBから商品を買い、それをAに売るというだけである。もっともAやBにはそうした相違はない。彼らはただ私に対して、Bは商品の所持者(売り手)として、Aは貨幣の所持者(買い手)として現れるだけである。私も彼らと同じように、Bに対してはただ商品の買い手として、Aに対しては商品の売り手として現れるだけである。つまり私は貨幣や商品の所持者としてだけ現れている。つまりここでは、資本や資本家として、彼らに相対しているのではない。これらはすべて単純な商品流通の範囲内のことである。
もし、この私の取引全体がよけいなものだとすると、Aはその商品を直接Bに売り、Bはそれを直接Aから買うのである。そうすれば、取引全体は普通の商品流通の一つの一面的な行為に短縮され、Aからみれば単なる売り、Bからみれば単なる買いでしかない。つまり、ただ売りと買いの順序の逆転によっては、単純な商品流通の部面と何ら変化はないのである。
そこで、そもそも商品流通がその性質において、等価交換ではなく、価値の増殖(不等価交換)を許すものかどうかを見極めなければならない。
3.流通過程が単なる商品交換として現われる商品流通を検討しよう。
二人の商品所持者が互いに商品を買い合い、差額を支払日に決済するという場合である。この場合は、貨幣はそれぞれの商品の価値を価格として尺度する計算貨幣としての機能と、差額を決済する支払手段として存在するだけで、商品に直接相対しない。
使用価値に関しては、交換者は両方とも利益を得ることができる。両者とも、自分にとって使用価値としては無用な商品を手放し、自分が使用するために必要な商品を手に入れるのだから。しかも、ぶどう酒を売って穀物を買うAは、おそらく、穀作農民Bが同じ労働時間で生産することができるよりも多くのぶどう酒を生産するだろう。穀作農民Bにも同じことがいえる。だから、この二人のそれぞれが、交換なしに、ぶどう酒や穀物を自分自身で生産する場合に比べて、同じ交換価値の引き換えで、Aはより多くの穀物を、Bはより多くのぶどう酒を手に入れる。したがって、使用価値に関しては、「交換は両方が得をする取引である」と言える。
交換価値はそうではない。自分が手放した商品価値と同じだけの価値を、相手の商品で受け取るだけで、そこに価値量の変化は起きない。
4.商品所持者が互いに信用で売買しあって、あとで差額を決済する場合、または、貨幣が流通手段として商品所持者のあいだを媒介して、売りだけ、買いだけという形に分離された場合においても同じことである。商品の価値は流通に入る前に価格として現れているのであり、流通の前提であって結果ではないのである。
5.偶然的諸事情を省いて、商品の流通過程を抽象的に(つまり本質だけを)考察すると、単純流通は、ある使用価値が別のある使用価値と取り替えられるという以外には何もない。商品の変態、たんなる形態変換だけである。そしてこの一連の形態変換には少しも価値量の変化を含んではいない。
他方、商品の価値のほうは、形態変換のなかで経験する唯一の変転は、その貨幣形態の変転だけである。この貨幣形態は、最初は売りに出された商品の価格(値札)として存在し、次にはその価格の実現された形態としてのある貨幣額として、そして最後には別のある等価物の価格として存在する。ここでは価値量の変化、増殖を含まない。
このように商品の流通はただ商品の価値の形態変換を引き起こすだけであり、現象が純粋に進行するなら、価値量は何の変化もなく、ただ等価物どうしの交換が起こるだけである。だから価値がなんであるかを知らない俗流経済学者たちでも、彼らなりに過程を純粋に考察しようとするなら、いつでも需要と供給が均衡すること、つまり需給の作用が働かないことを前提にする。
だから単純な商品流通では、使用価値に関しては交換当事者の双方が得することがあっても、交換価値に関しては双方が得をすることはありえない。「平等のあるところに利得はない18」(ガリアーニ『貨幣について』)といえる。
もちろん現実の商品流通では、確かに商品は、その価値からずれた価格で売られこともある。しかしこうした偏差は商品交換の法則からの逸脱である19。だからその純粋な姿では、商品交換は等価物どうしの交換であり、価値をふやす手段ではない20。
注18 „Dove è egualità, non è lucro.”
ガリアニ Ferdinando Galiani(1728-1787) イタリアの牧師・外交官・経済学者。ナポリで教育をうけ、外交官としてパリに派遣され、ディドロ・その他の百科全書家たちと交遊した。経済学者としては重商主義者で、重農主義に反対した。ジョン・ロックの貨幣論を翻訳しているうちに、その影響をうけ……しかしどちらかといえば、価値の主観的・心理的説明に傾いていて、その意味では効用説の先駆のひとつをなす。しかるに、その価値や貨幣にかんする議論では、のちの労働価値説をもととしたような明快な諸命題がみえており、マルクスは
これを評価している。たとえば、価値を人間のあいだの一関係とみる観点、金銀は本来的に貨幣だという命題、平等のあるところに利得なしという等価交換的見方、産業改良による労働の生産性の向上と価値低落の指摘などは、マルクスによって引用されている。;『資本論辞典』481頁
理論的な明晰さと、経済における「自然」法の考え方に対する親近感にもかかわらず、ガリアーニはとても現実的な人物で、抽象理論の適用性についてはかなり疑問視していた。特に、行動が緊急に必要な場合については、かれは重農主義者たちの主張するとんでもない理論が大嫌いで、それが半端で、非現実的でまったく実用できでないと考えていたし、危機的な状況においてはひたすら危険でさえあると考えていた。重農主義者が1768年のフランス飢饉の時に「自然状態」がどうしたこうしたと口論しているのを見て、口の悪いガリアーニ(およびその他多くの同時代人)は激怒した。かれは一生を通じて、かれは「あらゆる場合に」適用できると主張する理論すべてに対して健全な懐疑主義を抱き続けた。ある時や場所で機能するかもしれない手法は、他の場所では効かないかもしれない。強力な支持者兼追従者としては、ドニ・ディドロがいる――かれはまた、ガリアーニの親友でもあった。;「経済思想の歴史」 https://cruel.org/econthought/profiles/galiani.html
注19 もしなにか外的な事情により価格を上下するならば、交換は両当事者の一方にとって不利になり、平等は侵害される。しかし、この侵害は、あの原因によってひき起こされるのであって、交換によってひき起こされるのではない。」(ル・トローヌ『社会的利益について』)〔初版「右の原因」、仏語版「この原因」〕
注20 「交換は、その性質上、ある価値とそれに等しい価値とのあいだに成立する対等の契約である。だから、それは富をなす手段ではない。というのは、受け取るのと同じだけを与えるのだからである。」(ル・トローヌ、同前)
6.商品流通を剰余価値の源泉として説明する人たち(重商主義者たち)の多くは、使用価値と交換価値とを取り違え、混同している。
コンディヤックは「商品交換では等しい価値が等しい価値と交換されるということは、まちがい」「逆である」という。その理由として「われわれは、自分に必要な物を手に入れるために自分にとっていらないものを手放そうとする。われわれはお互いに、自分にとってより必要なものを得る替わりに、相手には自分にとってはより不要なものを与えようとする」からだと言う。というのは「諸物の価値は、ただ単に、われわれの欲望にたいするそれらの物の関係にある」からだという。つまり、コンディヤックのいう「価値」というのは使用価値以外の何ものでもない。使用価値に関してなら、確かに交換者双方が得をする。使用価値が異なるからこそ、それらは交換されるというのも当たり前のことである。
しかし他方でコンディヤックは等価交換ということも認めている。それだけでない、「もう一つ別な考慮が加えられなければならない」として使用価値に関しては不等価な交換だとも考えている。
7.マルクスはそれだけではなくて、コンディヤックは発達した商品生産の社会を、生産者が自分で生活手段を生産して、ただその欲望を越える余剰分だけを、互いに交換し合う(流通に投ずる)という未発達な状態にすり替えて論じているのだと指摘している22。
コンディヤックの議論は近代の経済学者たちによっても、しばしば繰り返されている。商品交換の発展した姿である商業を、剰余価値を生産するものとして説明しようとする場合である。
「商業は生産物に価値をつけ加える。なぜならば、同じ生産物でも、生産者の手にあるよりも消費者の手にあるほうがより多くの価値をもつことになるからである。したがって、商業は文字どおりに(strictly 厳密に)生産行為とみなされなければならない23。」云々。
注22 コンディヤックは「商業は交換者相互の余剰の不等価交換において成立する」と主張し、「これによって彼はケネー一派の重農主義者たちが等価交換説にもとづいて商工業を不生産的とするのにたいして、商業は同時に交換者双方に二つの価値をもたらし、工業は余剰を加工してあたらしい価値を増加するのであり、いずれも農業とともに生産的であると主張した」 「これにたいして重農主義的見解を忠実に信奉するル・トローヌは、生産物の評価はその効用だけでなく相互の交換において考えられるべきであり、価値は交換以前に存在するのではなく, 交換関係において生ずることを指摘し、発展した社会には余剰のものは存在せず、したがってコンディヤックの相互余剰交換説は、今日の社会に妥当しえないと批判した」(『資本論辞典』)。マルクスも同じ指摘をしている。
コンディヤックは価値と使用価値とを混同して、価値について正しい概念を持っていないことを暴露しており、ロッシャー[AN1] はそのコンディヤックの誤った価値概念に依拠して子供じみた概念を展開していると指摘している。
注23 ニューマンの主張は、「商業は生産物に価値をつけ加える」というもので、その理由として「生産者の手にあるよりも消費者の手にあるほうがより多くの価値をもつ」からだという。しかしこれは明らかに使用価値について述べている。「商業は文字どおりに(strictly)生産行為とみなされなければならない」というのは、商業と運輸業をごっちゃにしているのだろう。商業は別のところで仕入れたものを他のところで売ることから、当然、そこに商品を輸送する過程が入ってくるが、それ自体は商業ではなく運輸業であり、運輸業は延長された生産過程だとマルクスが述べているように、その限りは価値を生産し追加する。しかし商業自体はあくまでも価値の形態変換を媒介するだけのものであって、その限りでは価値をまったく付け加えないし、もちろん生産もしない。
ニューマン Samuel Phillips Newman(1797-1842)アメリカの牧師・著述家・教師……大部分がアダム・スミスの経済学に依拠しており、独創性に乏しいがきわめて明快な文章でその当時生起しつつあった問題にかんし原理的説明をあたえた。…他方では、「…商業は言葉どおりに生産行為と考えられなければならぬ」といって、セ―とともに、俗流的見解に陥っている。(『資本論辞典』527頁)
8.ニューマンは「生産者の手にあるよりも消費者の手にあるほうがより多くの価値をもつ」というが、しかし消費者は商品の価値に加えてその使用価値に対しても支払うわけではない。商品は使用価値に関しては、売り手にとってよりも、買い手にとっての方がよりいっそう有用だとしても、売り手が手にする貨幣は、買い手よりももっと有用なのだとマルクスは指摘する。というのは、買い手は買った商品の使用価値だけにその欲望が限定されているが、売り手はその貨幣で自分の欲しいものなら何でも手に入れる可能性を手にしたのである。まさに売り手は、自分の商品を販売して、直接的に交換可能な価値の一般的形態を、あらゆる商品に交換可能な一般的な富を手に入れることが出来るからこそ、彼らは自分の商品を販売したのである。
だからマルクスは、ニューマンのように「商業は文字どおりに(strictly)生産行為とみなされなければならない」というなら、「買い手は、たとえば商人の靴下を貨幣に転化させることによって、文字どおり(strictly)一つの『生産行為』を行なうのだ、とも言える」と皮肉って述べている。しかし買い手は、ただ商品を買っただけで、あとはその商品を消費するだけのことで、その商品について何の生産行為もしていないことは明らかである。
9.等価交換、すなわち等しい価値の商品と商品とが、あるいは等しい価値の商品と貨幣とが交換されても、誰も交換以前に持っていた価値以上の価値を流通から引き出すことはできない。つまり等価交換の流通からは剰余価値は生まれない。
商品流通の純粋な形態では、常に等価物どうしの交換を前提とするが、現実の商品流通は、常に純粋に推移するとは限らない。次に、等価ではないものどうしの交換を検討する。
10.純粋ではない状態とは言っても、商品市場に存在するのは交換者と交換者だけであって、彼らが互いに行使しあう力は、彼らの商品の力でしかない。
いろいろな商品の素材的な相違は、商品所持者たちが交換する動機であり、商品所持者たちを互いに求め合う。彼らのうちのだれもが自分では自分の欲求の対象を持たないが、逆に他人の欲求の対象を持っているからである。
このような、諸商品の使用価値の素材的な相違のほかに、諸商品のあいだには、商品の現物形態と価値形態(商品が転化した形態)との区別、すなわち商品と貨幣との区別がある。だから、商品所持者たちは、ただ、一方は商品の所持者として売り手であり、他方は貨幣の所持者として買い手である、という観点から区別されるだけである。
以後の検討においては純粋な商品流通とは異なる諸要因を入れて検討するにしても、商品所持者たちは、一方は商品の所持者、すなわち売り手として、他方は貨幣の所持者、すなわち買い手として考察する点は、何も変わらない。
11.そこで、なにかわけのわからない特権によって、売り手には、商品をその価値よりも高く売ること、たとえばその価値が100ならば110で、つまり名目上10%の値上げをして売ることが許されると仮定する。その場合には、売り手は10という剰余価値を収めることになる。
しかし、彼は、売り手だったあとでは買い手になる。そして今度は第三の商品所持者が売り手として彼に相対し、この売り手もまた商品を10%高く売る特権をもつ。だからかの男は、売り手としては10の得をしたが、次に買い手としては10を損することになる24。
つまり過程の全体は次のとおりになる。すべての商品所持者が互いに自分の商品をその価値より10%高く売り合うならば、結局、それは彼らが自分の商品を価値どおりに売ったのと同じことになる。一方で得た得を、他方で損をするからでる。
こうしたすべての商品所持者が、彼の商品をその価値よりも高い価格で販売=名目的値上げは、たとえば、商品の価値を金で評価する代わりに銀で評価する場合と同じような結果をもたらす。金1gで評価された商品の価格は銀では15gとなり、つまり名目的には1が15という高い価格で表される。しかし貨幣名は大きくなるが、諸商品の価値関係には何の変わりもない。いずれにせよ、商品を価値以上の価格で売買しても、それによる剰余価値は生まれない。
注24 「生産物の名目的価値の引上げ」によっては……売り手は富裕にならない。……というのは、彼らが売り手として儲けるものを、彼らはまさに買い手の資格において支出するからである。」 ジョン・グレー『諸国民の富の主要原理』
12.今度は、逆に、商品をその価値よりも安く買うことが買い手の特権だと仮定してみる。ここでは、買い手が再び売り手になるという以前に、彼は、買い手になる前にすでに売り手だったのである。だからこそ買うための貨幣を所持している。彼は買い手として10% もうける前に、売り手としてすでに10% 損をしていたのである25。
注25 「もし24リーヴルの価値を表わす或る分量の生産物を18リーヴルで売らざるをえないとすれば、同じ金額を買うために使えば、やはり24リーヴルで得られるのと同じだけが18リーヴルで得られるであろう。」 ル・トローヌ『社会的利益について』
13.売り手が商品を価値よりも高く売る、買い手は商品を価値よりも安く買う、どちらの特権を想定しても剰余価値は生まれない。
注26 「どの売り手も、つねに自分の商品を値上げすることができるためには、自分もつねに他の売り手の商品により高く支払うことを承認せざるをえない。そして、同じ理由によって、どの消費者もつねにより安く買い入れることができるためには、自分の売る商品も同様に値下げすることに同意せざるをえない。」 メルシエ・ド・ラ・リヴィエール『自然的および本質的秩序』
※ ここでは商品所持者たちは、みな対等であることが原則であり、一部のものだけの特権は想定していない。もし、一部のものが常に価値より高く売る、または常に価値よりも安く買うという特権を想定した場合、社会における富の偏在が起きるだけで、その社会全体としての剰余価値は生まれない。
14.そこで等価交換と異なる商品流通外の事情をこっそり持ち込んだ場合――例えばトレンズ大佐のように――そうしたところで何も変わらない。
消費者、つまり買い手がその商品の価値よりも大きい価格で購入する「能力と性向」もつという場合――これは結局、資本(売り手)が自分の生産した商品の価値(商品の生産に費やされるもの)よりも高い価格で売る特権(消費者は常に高く買う能力と性向)を持つということと同じである。
15.商品流通に生産者や消費者という関係を持ち込んでみても、現実の流通の場面では、生産者と消費者はただ売り手と買い手として相対するだけである。だからトレンズ大佐のように、消費者が商品の価値よりも高く支払う能力をもっているとして、生産者の剰余価値の形成を説明することは、結局は、先に検討した、商品所持者が売り手として価値より高い価格で売る特権をもっているという命題をただ言い換えただけに過ぎない。
単純な商品流通で想定している商品所持者(売り手)は、その商品を自分で生産したか、あるいはその生産者を代表しているだけかの、どちらかであり、同じように買い手も、彼が持っている貨幣を入手するために、彼自身が生産した商品を販売して手に入れたものか、あるいはその生産者を代表して彼の貨幣を持って買い手として現れているのかの、どちらかである。
つまり、結局は、生産者と生産者との関係である。彼らの区別は一方は買い、他方は売るというだけである。
商品所持者が、生産者という名で商品をその価値よりも高く売り、消費者という名で商品に高すぎる価格を支払うのだ、と言い換えても、何も解決しない28。
注28 「利潤が消費者によって支払われるという考えは、確かに非常にばかげている。消費者とはだれなのか? それは地主か、資本家か、雇い主か、労働者か、そのほか給料を受け取る人々かでなければならない。」 「総利潤の一般的な率に影響することができる唯一の競争は、資本家的企業者と労働者とのあいだの競争である。」(『剰余価値学説史』全集第26巻Ⅲ第22章ラムジ)
……マルクスは、ラムジにおいて経済学が、資本はたんなる偶然的な歴史的生産条件である、ということを説明するところにまで到達したと述べている。(『資本論辞典』ラムジの項)
16.以上のように、剰余価値が商品交換から生ずるものとして説明する人たちは、結局、売ることなしに買うだけ、あるいは生産することなしにただ消費する人たち、そうした一階級を想定している。こうした階級の存在(土地所有者やそれに寄生する人たちや国家とそれに寄食す人たちなど)はまだ単純な商品流通の立場からは説明できない。しかしとりあえず、そうした階級の存在を前提してみよう。
こうした階級が絶えずものを買うための貨幣は、結局は、交換なしに、無償で、何らかの権限や力によって、現実の商品所持者(生産者)たち自身から不断にこの階級へと流れてこなければならないことになる。だからこの階級に商品を売る人たち(商品の所持者・生産者)が、彼が販売する商品をその価値よりも高く売ることよって剰余価値を形成するとしても、結局は、彼が無償で与えたものを再びその一部をだまし取るというだけに過ぎない。
小アジアの諸都市は、毎年、古代ローマに貢租を貨幣で収めた。ローマはその貨幣でそれらの諸都市から商品を買い、それを高すぎる価格で支払った。小アジア人たちはローマ人をだまして、商業という方法で征服者に強奪された貢租の一部を奪い返した。しかし、それにも関わらず彼らが相変わらず強奪されているという現実は何一つ変わらなかった。彼らがだまし取ったと考えた商品の代価は、結局は彼ら自身の貨幣だからであり、こうした関係からは何も価値は生み出されていない。こんなことはけっして富を生まず、剰余価値は形成されない。
注29
マルサスは弟子の坊主のチャーマズと一緒に、単なる買い手または消費者の階級(寄生的な階級)が不可欠であることを主張し、その存在を賛美しているが、このリカード派の一人は、ある人が需要がないために自分の商品が売れないとき、この商品の買い手を求めるために、まず最初に買い手に貨幣を支払ってやるということをマルサスは勧めるのか、と質問している。つまり寄生的な階級の存在の必要を説くマルサスの主張はまさにそうしたものだ、と批判している。
※ …マルサスは、資本家が剰余価値を獲得するために生産する余剰商品のゆえに、市場には総需要の不足にいたる確かな傾向が存在すると論じた。商品を買う購買力を持っているのは誰か? 資本家は剰余価値を再投資するから、可能なかぎり消費するわけではない。労働者は生産物のすべてを消費することはできない、なぜなら彼らは搾取されているからである。それゆえマルサスは、経済の安定を保つためには、できるだけたくさん消費するという慈善的行動を行なう土地所有者の階級――あるいはマルクスであればあらゆる種類のブルジョア的寄生者と呼ぶような階級――には重要な役割があるのだと結論づけた。こうしてマルサスは、非生産的消費階級を非生産的寄生者だとして退けたリカード派の批判に抗しつつ、彼らの存在を永続させることを正当化したのである。;デヴィッド・ハーヴェイ『〈資本論〉入門』147頁
17.やはり、我々は、依然として売り手は買い手であり、買い手は売り手であるという単純な商品交換の限界のなかで考えることにしよう。
我々が困難に突き当たったのは、あるいは我々の想定が、売り手は「売り」という商行為の人格化された、買い手は「購買」という商行為の人格化された範疇ととらえ、当事者を性格をもった個人として捉えてこなかったからではないだろうか。
18.Aは非常にずるい男で、同じ商売仲間のBやCをだますが、BやCのほうはお人好しで何も仕返しができないとする。(以下、右図参照)
流通する価値は変わらないが、AとBとへの分配は変わる。一方で剰余価値として現れるものは他方では不足価値であり、一方のプラスは他方のマイナスである。
流通する価値の総額をその分配の変化によってふやすことはできない。一国の資本家階級の全体が自分で自分からだまし取ることはできない。
※ …『資本論』のこの段階で彼が関心を持っているのは、どのような歴史的・地理的諸条件が支配的であるかに関わりなく、市場交換からは剰余価値の生産は起こりえないということを示すことだけである。等価交換から非等価物(つまり剰余価値)がいかに生まれるのかという矛盾の解決は、何らかの他の道に見出されなければならない。
このような狭い問題設定を採用したことは、マルクスが、社会的役割から諸個人へと一時的に視線を移した理由をも説明する。実際、諸個人は、価値より高く売ることによって他人を出し抜くことができるのであり、これはいつでも起こりうるし実際に起こっている。しかし、システム全体として、社会の総計として見ると、その結果はピーターから奪ってポールに支払っているにすぎない。個々の資本家は、他の資本家をだまして剰余価値をまんまと手に入れるかもしれないが、そのさい、誰かの利得は他の誰かの損失なのであり、総計としては剰余価値は何ら存在しないことになる。それゆえ、すべての資本家が剰余価値を得る方法が見出されなければならない。健全な、あるいは適切に機能する経済は、すべての資本家が安定的に儲けの上がる利潤率を稼ぐことのできる経済である。;デヴィッド・ハーヴェイ『〈資本論〉入門』150頁
19.要するに、等価物どうしが交換されても剰余価値は生まれないし、非等価物どうしが交換されてもやはり剰余価値は生まれない。流通あるいは商品交換は価値をなんら創造しない。
注31 マルクスはここのセーの指摘は、実は重農学派から借用したものだと指摘し、それをこっそり拝借して、自分の著書の「価値」の増殖に使ったと皮肉を述べている。さらにもうひとつの例としてセーの「生産物は生産物でしか買えない」というのは、重農学派の原文では「生産物は生産物でしか支払われない」というル・トローヌの一文を紹介している。
20.こういうことからも、資本の基本形態を分析する場合に、なぜ大洪水以前的な姿※である商業資本と高利資本とを考慮に入れないでおくのかがわかる。
※ 「大洪水以前的(antediluvianisch)」とは、『創世記』で語られるノアの大洪水(Diluvium)に因んだ、大昔を意味するドイツ語の慣用的な言い回しである。資本主義を特徴づける産業資本に対し、資本主義以前から存在してきた商人資本と高利資本をマルクスは資本の「大洪水以前的な姿」と呼んでいる。;沖公祐(おきこうすけ)『「富」なき時代の資本主義』65頁
※ あとのパラグラフで本来の商業資本(第21パラグラフ)や高利資本(第22パラグラフ)を取り上げるための導入となっている。古代の商業資本や高利資本は資本主義的生産の規定的な資本形態である産業資本の勃興とともに、それに従属させられ組み込まれて、その派生的形態になったものとしてあとで考察の対象になるだけである。[AN2]
21.本来の商業資本(つまり前近代的な商業資本)では、形態G-W-G'、より高く売るために買う、が最も純粋に現われている。
商業資本の運動は流通部面で行われる。しかし流通部面では、貨幣の資本への転化、すなわち剰余価値の形成は不可能である。結局、商業資本は、等価物どうしの交換が行われるようになると33、自分自身は、存在が不可能なものとして現れざるを得ない。したがって古代の商業資本は、さまざまな共同体的な生産組織の隙間に、それらの社会組織に寄生して、これらの生産者たちの両方からだまし取るということから彼らの利潤を引き出していた。[AN3] フランクリンは、このような意味で、「戦争は略奪であり、商業は詐取である」と言うのである。
商業資本の価値増殖(彼らの利潤)が、単なる商品生産者からの詐取としてではないというためには、長い中間項を経る必要がある。だからそれは商品流通とその単純な諸契機とが我々の唯一の前提となっている今の段階では、まだ説明できないのである。
※ 諸商品間の価値差を異にする諸地域の存在を前提すれば、商人はA地で100で買ったものをB地で120で売り、この売買はどちらも等価交換だということもありうるであろう。しかし、このような場合にも、B地の買い手が直接にA地から買えば100で買えるのであって、商人の得る20はB地の買い手が失ったものである。あるいはまた、A地の売り手が直接にB地に120で売れるとすれば、20はA地の売り手が失ったものである。商人の旅行や運搬の費用を計算に入れるとすれば、それは資本の価値増殖には無関係な価格形成要素であって、『資本論』では第二巻の流通過程論で問題にされるものである。;岡崎次郎『資本論入門』国民文庫85頁
※ 『資本論』では第三巻の第3篇までで第1巻からはじまる産業資本の考察が終わったあと、第4篇で商業資本が考察されている。商業資本の利潤は産業資本の利潤が分割されたものとして説明されることになる。
注33[AN4] 「もし諸等価物が交換されるならば、すなわち諸商品がその交換価値で売買されるならば、商業はおよそ不可能なものとして現われるにちがいない。不変な等価物の支配のもとでは、商業は不可能であろう」(ジョージ・オプダイク)(だからこそエンゲルスは、似たような意味で、『独仏年誌』、パリ、1844年、『国民経済学批判大綱』において、交換価値と価格との相違を、諸商品がその価値で交換されるならば商業は不可能だ、ということから説明しようとしているのである。)」;『資本論草稿集』④『61-63草稿』38頁)
22.商業資本にあてはまることは、高利資本にはもっとよくあてはまる。商業資本では、その両極は、買いと売りという流通の運動によって、媒介されている。
高利資本では、G-W-G'の運動形態が、何の媒介もないG-G'という両極だけの運動形態として示される。貨幣は流通のなかでその価値を増殖することなどできないのであり、貨幣の性質と矛盾する。つまり、商品交換の立場からは説明できない形態に短縮されている。
注35 アリストテレスも次のように言う。
「貨殖術は二重のものであって、一方は商業に属し、他方は家政術(※単純商品流通)に属している。後者は必要なもので称賛に値するが、前者は流通にもとづいていて、当然非難される(というのは、それは自然にもとづいていないで相互の詐取にもとついているからである)。……ここでは貨幣そのものが営利の源泉であって、それが発明された目的のために用いられるのではない……。じっさい、貨幣は商品交換のために生じたのに、利子は貨幣をより多くの貨幣にするのである。その名称」(τσκος* 利子および生まれたもの)「もここからきている。なぜならば、生まれたものは、生んだものに似ているからである。しかし、利子は貨幣から生まれた貨幣であり、したがって、すべての営利部門のうちでこれが最も反自然的なものである。」 *たわごと(希)
※ 高利貸資本は、利子を取ることに対する長年の、場合によってはきわめて厳格なタブーに直面してきた。たとえばイスラム法は、利子を取ることを禁じている。おそらくあまり知られてはいないが、19世紀半ばまでずっと、カトリック教会も利子を取ることを禁じていたのだが、これははなはだ重大な意味を持っていた。たとえば、当時フランスでは、保守的なカトリック教徒はしばしば、投資会社を売春宿にたとえ、金融操作を売春の一形態と見ていた。;デヴィッド・ハーヴェイ『〈資本論〉入門』151頁
23.商業資本と同様に利子生み資本もあとで派生的な形態として取り上げられる※。その時、なぜそれらが歴史的に資本の近代的な基本形態よりも先に現われたかもわかるだろう。
※ これらの資本流通形態は、産業資本が舞台に現われる以前に歴史的に存在していた、と彼は言う。しかし後で見るように、産業資本は純粋な資本主義的生産様式を規定する真の(the)資本形態になるのである。
そしていったん産業資本が支配的になると、産業資本は生産物を販売するために商業資本を必要とするのであり、また、投資をあちこちに振り向けたり長期固定資本投資などの問題を処理するために利子生み資本を必要とするのである。そうしたことが可能となるためには、資本流通の基本形態たる産業資本は、金融資本と商業資本の双方を、産業資本の特定の必要性に従わせる必要がある。『資本論』第三巻で、マルクスはこうしたことがどのように生じ、その結果何が起こったのかという問題を取り上げる。;デヴィッド・ハーヴェイ『〈資本論〉入門』152頁
※ 『資本論』では第三巻第4篇の商業資本の次、第5篇で考察される。しかし商業資本にしても、利子生み資本にしても、そこで基本的に取り上げられているのはその近代的なそれであって、それらの歴史的な形態はそれぞれの篇の最後の章(第20章、第36章)で問題にされているだけである。
マルクスは『経済学批判要綱』の序説のなかの「3 経済学の方法」で、次のように述べています。
「すべての社会形態にはある一定の生産があって、それがその他のすべての生産に順位と影響力とを指定し、したがってその生産の諸関係がまた他のすべての諸関係に順位と影響力とを指定するのである。それは一般的照明であって、その他のすべての色彩はそれにひたされて、それぞれの特殊性のままに変色させられる。それは特殊的なエーテルであって、そのなかに浮き出てくるすべての定在の比重を決定する。」;『資本論草稿集』①「『経済学批判要綱』の序説 3 経済学の方法」 59頁)
「したがって経済学的諸範疇を、それらが歴史的に規定的な範疇であったその順序のとおりに並べるということは、実行できないことであろうし、また誤りであろう。むしろ、それらの序列は、それらが近代ブルジョア社会で相互にたいしてもっている関連によって規定されているのであって、この関連は、諸範疇の自然的序列として現われるものや、歴史的発展の順位に照応するものとは、ちょうど反対である。」;Ibid. 61頁)
つまり資本主義的生産様式の基礎的な資本形態は産業資本ですが、それが歴史的に勃興してくる過程で、それ以前の歴史において独立して存在していた商業資本や高利資本は、産業資本に従属させられ、その色に染められて、その体制の中に組み込まれて、編制のなかに位置づけられ、その派生的形態に貶められたのです。だから資本主義的生産様式のなかでの商業資本や利子生み資本は、産業資本の循環過程の一契機が自立化したものとして捉え直されています。そして商業資本の商業利潤や利子生み資本の利子は、産業資本が生産した利潤が分割されたものとして展開されているのです。(大阪『資本論』学習資料 No.27 2021.12.17)
24.これまで明らかにしたように、剰余価値は流通からは生まれないということであり、それが形成されるときは、〈剰余価値の形成を可能にするなにものかが、流通の外部で起こらざるをえない〉ことになる。
しかし、剰余価値は流通からでなければほかのどこから発生することができるのか? 流通は、商品所持者(生産者たち)のすべての相互関係の総計である。流通の外では、商品所持者と彼自身の商品との関係があるだけである。
商品所持者が持つ商品は、彼自身の労働が「一定の社会的法則に従って計られた労働量」として価値を形成している。そして、その価値量が計算貨幣で表わされるのだから、たとえば10ポンド・スターリングというような価格に表現される。しかし、彼の労働は、その商品の価値とその商品自身の価値を越えるある超過分とで表わされるのではない。つまり、同時に、11という価格である10という価格で、それ自身よりも大きい一つの価値で、表わされるのではない。商品所持者(生産者)は自分の労働によって価値を創造することはできるが、しかし、自己増殖する価値を形成することはできない。
彼が流通の外で自己の商品の価値を高めるとすれば、現にある商品の価値に新たな労働によって価値を付加することによってのみである。例えば革で長靴を作る場合、長靴は革が持っていたよりも多くの価値を含んでいる。しかし革の価値そのものは、長靴製造過程においてもやはり同じままであって、革そのものがその過程で剰余価値を身につけたわけではない。だから、各商品の所持者が、長靴の生産者とは関係なしに、その革の価値を増殖し、剰余価値を生み出すこと、だからまた貨幣や商品を資本に転化することは不可能なのである。
25[AN5] .資本は流通から発生することはできないし、流通から発生しないわけにもゆかない。資本は、流通のなかで発生しなければならないと同時に流通のなかで発生してはならない。
※ 「剰余価値、あるいは価値の自己増殖は、交換から、流通からは、発生しえないのである。他方では、それ自身が価値を生みだす価値は、ただ、交換の、流通の一産物でしかありえない。というのは、価値が交換価値として働くことができるのは、ただ交換のなかにおいてでしかないからである。」;『資本論草稿集』④『61-63草稿』34頁)
26-27.こうして、二重の結果が生まれた。貨幣の資本への転化は、商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるのであり、だからこそ等価物どうしの交換が出発点とみなされる。
いまのところまだ資本家の幼虫でしかないこの貨幣所持者は、商品をその価値どおりに買い、価値どおりに売り、しかも過程の終わりには、自分が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない。
※ 資本の運動というのは、単純流通をその運動の表面に不可欠の契機として持っています。資本の運動のさらに深い関係は、しかし流通からは隠されています。しかし資本はかならずブルジョア社会の表層にある流通を経過せずして、自己の資本の増殖を図ることはできないのです。資本はかならずその生産に必要な諸条件を、商品流通を媒介して手に入れる必要があり、さらに生産した商品を流通を媒介して実現して、増殖した価値を手に入れ、資本の資本としての実を示す必要があるからです。私たちはまだこうした資本の運動の本当の姿を知らず、ただ流通に出ているものだけを対象にしています。だからそこでは単純流通の諸法則(=等価交換)に則って行われながら、なおかつ価値を増殖するという矛盾したものとして現れているのです。
資本は単純流通ではその法則に則って、商品を価値どおりに購買し、価値どおりに販売するのですが、しかし過程の終わりには、自分が最初に投げ入れたもの(これは生産に必要な諸条件の購入のために投げ入れた貨幣です)より多くの価値(これは彼が生産した商品の価値を実現したもので、すでにそこには剰余価値が存在しています)を流通から引き出さねばならないのです。(大阪『資本論』学習資料 No.27 2021.12.17)
幼虫の蝶への羽化は、流通部面で行なわれなければならないし、また流通部面で行なわれてはならない。ここがロドスだ、さあ跳んでみろ![AN6]
注37 資本の形成は、商品価値からの商品価格の偏差によって説明することはできない。
価格が価値から現実にずれているならば、まず価格を価値に還元して、商品交換を基礎とする資本形成の減少を純粋な姿で眼前に置き、その考察にさいしては本来の過程には関係のない攪乱的な付随的な事情に惑わされないようにしなければならない。
この還元は決して単なる科学的な手続きではない。市場価格の絶え間ない振動は、おのずからその内的基準としての平均価格に還元されるのである。
商人や産業家は、長い期間を全体として見れば、商品は現実にはその平均価格[AN7] (生産価格)で売られることを知っている。だから問題はこうなる。平均価格によって、結局は商品の価値によって、価格が規制される場合に、どのようにして資本は発生することができるのか?
「結局は」というのは、平均価格は直接に商品の価値量と一致するものではないからである。
※ つまり、資本とは剰余価値を繰り返し生む価値のこと、つまり増殖する価値の運動体のことである。
しかるにこの運動体を無視し、資本を静止物として理解しようとする者は、たえず矛盾に直面することになる。伝統的な経済学の諸潮流が資本概念、つまり何を資本と見なすのかという問題について混乱しているのも、このような理由からなのである。
たとえばある経済学者は、資本は道具であると定義する。だが、その定義の場合には、石器時代にも資本家が存在したことになるし、また石でクルミを割る猿さえも資本家であるということになる。同様に放浪者が木の実を落とそうとする杖も資本になり、放浪者自身も資本家ということになってしまう。
第二の経済学者は、資本は蓄積された労働であると定義する。この定義によると、ハムスターや蟻にも、ロスチャイルド、ブライヒレーダー、クルップの仲間[資本家の仲間]として活動しているという名誉を与えなければならなくなる。
第三の経済学者は、労働を促進し、労働を生産的にするすべてのものを資本と見なす。かくして国家も、人間の知識も、人間の魂も、みな資本ということになってしまう。
このような一般的定義は、子供の世界では有益な常套句になるとしても、人間の社会形態そしてその法則と原動力についてのわれわれの認識を少しも深めるものにならないということは、明らかである。従来政治経済学の多くの分野でほとんど無制限ともいえるほど支配的であったこのような常套句を政治経済学から駆逐した最初の人は、マルクスであった。とりわけ資本の特徴づけにかんしての分野ではいっそうそのように言うことができるのである。…(中略)
生産手段や蓄積された労働等々は。確かに、資本になるけれども、それは、一定の事情のもとでだけそう言えるのである。人々はこうした一定の事情、すなわち近代的生産様式の特徴を無視するから、資本についての曖昧な理解を広めることになるのである。だが、このような事態は資本主義の擁護者にとって都合のよいものとなる。なぜなら、学識ある者と学識のない者とを問わず、資本主義の擁護者がマルクスの資本理論についてはもとより、その基礎にある価値論についても真面目に取り組む意志をもたなくてすむことになるからである。;カウツキー『マルクスの経済学説』58-59頁
[AN1]ロッシャー Wilhelm Georg Friedrich Roscher (1817-1894) ドイツの経済学者. ……彼が究明しようとする歴史的発展法則なるものの概念が,いかに科学的な吟味にたええないものだったかは,彼のいわゆる〈経済発展段階説〉をみるだけでも,たちまち明瞭になる.すなわち,彼は生産の要素を自然,労働,資本の三つとなし. そのうちのどれが優位を占めるかによって,経済発展段階を(1)自然に依存する原始段階. (2)労働を主とする手工業段階. (3)機械の使用が支配的となる大工業段階の三つに区分するのであるが.このような段階区分は,少しも真の意味の歴史的発展,すなわち人間の社会的諸関係の発展をあらわすものではない.それにもかかわらず,彼の大著がたんにドイツ国内でだけではなく,多くの外国語に翻訳されて,海外(ことにアメリカ)でもひろく読まれたのは,それが古典学派にたいして理論的にあらたなものをふくんでいたからではなく,古典学派が研究の対象としたよりもはるかに広大な領域(たとえば学説史,社会政策,植民政策等々)にわたる雑多な知識にもっともらしい学問的粉飾を施していたからにすぎなかった. しかし,その影響がこのようにひろい範囲に及んでいただけに,マルタスは.ロッシャーのやり方を当時の俗学的態度の見本としてやっつける必要を痛感しており. 1862年6月16日づけのラサールあての手紙では,ロッシャーの〈折衷主義〉を口をきわめて罵倒し,その非科学性を暴露することの必要と意図とを述べている。(『資本論辞典』586-587頁)
[AN2]「ここですでに知ることができるのは、資本についての日常の表象に最も近く、また事実上歴史的には資本の最古の定在形態である、資本の二つの形態――これは二つの機能における資本であり、それが一方または他方の形態で機能するのに応じて、それは特殊な種類の一資本として現われる――が、なぜ、われわれが資本そのものを問題にしているここでは、まったく問題とならず、むしろ資本そのものの派生的二次的な形態として展開されねばならないのか、ということである。」
(草稿集④『61-63草稿』36頁)
[AN3]産業的に未発展な諸国民のあいだで仲介商業を営む商業諸民族の致富は、おもにこの方法で生じたのであった。商人資本は、生産の、また総じて社会の経済的構造の、さまざまの段階にある諸国民のあいだで活動を続けることができる。だからそれは、資本主義的生産様式が少しも行なわれていない諸国民のあいだで、したがって、資本がその主要な諸形態において発展するはるか以前に、活動を続けることができるのである。だが、商人の作りだす利得、あるいは商人財産の自己増殖が、単に商品所有者たちの詐取から説明されてはならず、つまり、前から存在している価値額の単なる別の配分以上のものでなければならないのだとすれば、それは明らかにただ、商人資本の運動、その特有の機能、には現われていない諸前提から導き出されるよりほかになく、またその利得、その自己増殖は、単に派生した、二次的な形態として現われるのであって、この形態の源泉はどこかほかのところに求められなければならない。反対に、もしその特有の形態がそれだけで〔für sich〕独立に考察されるならば、商業はフランクリンの言うように、単なる詐取として現われるにちがいないし、もし諸等価物が交換されるならば、すなわち諸商品がその交換価値で売買されるならば、商業はおよそ不可能なものとして現われるにちがいない。
(草稿集④『61-63草稿』38頁)
[AN4] 真実価値と交換価値との相違の基礎にはつぎのような事実がある――つまり、ある物の価値は、商業のさいそのかわりにあたえられるいわゆる等価とはちがっているということ、すなわちこの等価は等価ではないということがそれである。このいわゆる等価は物の価格であって、もし経済学者が正直なら、彼は、この言葉を「商業価値」の代りにもちいるであろう。だが彼はそれでもやはり、商業の不道徳性があまりにもはっきりと明るみにでないように、価格はなんらかの仕方で価値と関連しているという外見の痕跡を維持していかなければならない。ところで、価格が生産費と競争との相互作用によって決定されるということはまったく正しいことであって、私的所有の基本法則である。これは経済学者が発見した第一の法則であり、純経験的な法則であった。ついで彼は、彼の真実価値を、すなわち、競争関係が均衡し、需要と供給が一致したときの価格を、ここから抽象した。――そうすると当然生産費があとにのこる。そしてこれを経済学者は真実価値とよんでいるが、それは価格の一規定性にほかならない。だが経済学では万事がこのようにさかだちしているのであって、本源的なものであり、価格の源泉である価値が、それ自身の産物である価格に従属させられているのである。周知のように、この転倒は抽象の本質であって、これについてはフォイエルバッハを参照せよ。
(エンゲルス『国民経済学批判大綱』全集第1巻552頁)
[AN5]矛盾というのは「AはAであってAでない」と表現できますが、これは例えばAが運動しているとき、それはある瞬間には確かにAなのですが、次の瞬間にはすでにAではなく、別の場所にあるAになっています。つまり運動するAを規定した場合、それは矛盾したものとして表すしかないのです。同じように貨幣が資本へ移行する過程を説明するとき、それは矛盾したものとして現れてきますが、その諸矛盾の展開を私たちはこれまで見てきたのです。それをこのパラグラフでは総括的に簡潔に言い表しているといえます。
(大阪『『資本論』学習資料No.27 2021.12.17)
[AN6] 〈ここがロドスだ、さあ跳んでみろ!〔Hic
Rhodus,hic salta!〕〉というのは、イソップの寓話から取られたもののようです。全集版の注には〈イソップの寓話からとったもので、その話のなかでは、一人のほら吹きが自分はロドス島で非常に大きく跳んだことがあると言い張った。そこで、彼はこう言い返された。ここがロドスだ、さあ跳んでみろ! と。〉。また新日本新書版の訳者注には〈アイソーポス『寓話』ハルム版、203行。山本光雄訳『イソップ寓話集』岩波文庫、54ページ。ロドス島で大跳躍をしたというだぼら吹きにたいして、それではここで跳んでみろ、と人々が言ったという寓話から〉とあります。
またヘーゲルも『法の哲学』の序文なかで次のように使っています。
〈そこで実際、本稿は、国家を一つのそれ自身のうちで理性的なものとして概念において把握し、かつあらわそうとするこころみよりほかのなにものでもないものとする。それは哲学的な著作として、あるべき国家を構想するなどという了見からは最も遠いものであらざるをえない。そのなかに存しうる教えは、国家がいかにあるべきかを国家に教えることをめざしているわけはなく、むしろ、国家という倫理的宇宙が、いかに認識されるべきかを教えることをめざしている。
〔ここがロドスだ、ここで跳べ〕
存在するところのものを概念において把握するのが、哲学の課題である。というのは、存在するところのものは理性だからである。個人にかんしていえば、だれでももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである。なんらかの哲学がその現在の世界を越え出るのだと思うのは、ある個人がその時代を跳び越し、ロドス島を跳び越えて外へ出るのだと妄想するのとまったく同様におろかである。その個人の理論が実際にその時代を越え出るとすれば、そして彼が一つのあるべき世界をしつらえるとすれば、このあるべき世界はなるほど存在してはいるけれども、たんに彼が思うことのなかにでしかない。つまりそれは、どんな好き勝手なことでも想像できる柔軟で軟弱な境域のうちにしか存在していない。
さっきの慣用句は少し変えればこう聞こえるであろう――
これがローズ(薔薇)だ、ここで踊れ。
自覚した精神としての理性と、現に存在している現実としての理性とのあいだにあるもの――まえのほうの理性をあとのほうの理性とわかち、後者のうちに満足を見いださせないものは、まだ概念にまで解放されていない抽象的なものの枷(カセ)である。〉(『世界の名著』第35巻170-172頁)
(大阪『資本論』学習資料No.27 2021.12.17)
[AN7]ここでマルクスが〈平均価格〉と述べているのは、『資本論』第3部第2篇で問題になる「生産価格」のことです。マルクスは『61-63草稿』の段階では、生産価格のことを「平均価格」と述べていました。生産価格は価値を前提にして理論的に説明することが出来るのです。諸資本の競争によって一般的利潤率が形成され、商品の平均価格が生産価格になると、商品の市場価格は価値を基準にではなく、生産価格を基準にして変動するようになります。だから一部(資本の有機的構成が平均的な部門)を除いて商品の価格は、価値から恒常的に乖離することになるのです。しかしこうした偏差は究極的には価値法則によって規制されており、ある段階では、その偏差を恐慌によって強力的・暴力的に是正するために価値法則が自己を貫徹することになるのです。
(大阪『資本論』学習資料No.27 2021.12.17)
第4章第2節PDFファイル ↓
https://drive.google.com/file/d/1NgiO9HbIkEKMPr2_Di3LE-tMII2qiT9J/view?usp=sharing
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